日記

勉強していないと馬鹿過ぎて死にたくなるのに馬鹿だから難しい事がわからない助けてくれないか

精神科病院へ措置入院になった話し

その日、私は何に追い詰められていたんだろう。

思い返せば昔から不安定で、特にここ2年はひどいものだった。度々睡眠薬や精神薬のODを繰り返しては無断で学校を休んで先生に迷惑をかけていた。ODと言っても無意味な薬を大量に飲むのではなく、混迷する程度の量をアルコールと共に摂取して、死ぬ時に痛い思いや苦しい思いをしないようにと麻酔的な意味で行っていた。先日有名になった、自殺志願者を殺し、9体の遺体と6畳一間に一緒に住んで(?)いた事件の犯人が教えていた自殺の方法と全く一緒の使い方をしていた。

1回目、とりあえず薬飲んどけば死ねる→失敗(それはそう)
2回目、薬飲んで部屋でドアノブ自殺→気づいたらベッドで寝てた。
3回目、薬飲んで動脈の位置カット→各刃物切れ味悪すぎて切れず失敗。ノコギリのように使用したため傷口だけは汚く残る。
4回目、薬飲んで近所の公園で首吊り→ロープではなくコンセントを使用したため破損して失敗。大幅にコケて顔面を怪我する。

5回目、精神薬とカフェインのODでカフェイン中毒または嘔吐による窒息死→ありえん大量の吐物を床にぶちまけただけ。

もう、薬飲んで崖っぷちで眠るか飛び降りか身投げか焼身か色々考えはあったけど、遺体が残らない事と、失敗した後にダメージが大きいことは怖くて選択肢から外していた。私は臆病だし弱虫だし痛い事怖い事いやだし、ラクになりたいだけで生きたいんだから、そんなある意味確実なこと出来るわけなかった。

でも、もう何度目かの失敗で私も疲れていた。家族も学校の先生も疲れていたと思う。薬ももう最後の一回しか残っていなかった。だから次こそはと思い、今度はちゃんとロープを購入し首吊り用の輪っかを作って、公園のどこの木に引っ掛けるかまで下見に行くなど準備をしていた。

その日、病棟実習の3日目かなんかだったと思う。

2年生の6月頃から本格的に実習が始まった。その日が来る前から実習には度々行けなくなり落とすクールも出てきていた。私が休むものだから先生も気を遣って、本来なら患者を一人で受持つところを私と仲の良い友達と二人で一人を受け持たせてくれた。それなのに、そのクールに私はやらかしてしまった。

いや、実習始まる前はグループの友達にも「今回は大丈夫だよ〜w」と言っていたしそのつもりだったんだよ。

でも朝になると行けなかったの。もう死ぬしかないと思った。「行けないなら死ぬしかなくない?卒業する為に生きているのに卒業できないなら死ぬしかなくない?何もできないなら死ぬしかなくない?死なないとこんな状態を認められなくない?もう死んで認めてくれないか?」と視野狭窄に陥り混乱していた。

だから、薬とアルコールを飲み、用意していた物品を持って外に出た。もうそこから記憶にないのでここからは夫の話しとなる。

結論から言うと、私は首にロープを引っ掛けて近所をウロウロしていたらしい。コンビニ店員の通報なのかコンビニ前に警察がきて職務質問を受けていたらしい。

丁度夜勤明けで帰ってきていた夫が私を探して発見し家に連れて帰る。そこから寝かせて休ませる。何回も繰り返しているから夫は病院には連れて行かないほど慣れっこに。目覚めるたびに私は「何で死んでないんだよ!ロープ返せよ!またロープの輪っか作らないといけないじゃないか!!薬をくれ!」とキレていたらしい。(覚えていないけどまたロープの結び方をネットで検索して文句言いながら作成していたらしい。うける)。家に来ていた親が、私が荒れている様子を見てそろそろ怖いと思い精神科の救急に連絡をする。救急隊はこの状態では元気なので救急車には乗せられないとのことで警察に通報。警察署に連れて行かれる。そこで待機して役所の福祉系の人が来る。みんなで精神科病院に行く。精神科指定医2名と面談し措置入院となる。

という経緯を経て精神科に初の入院。

もう散々やらかして疲れていたから、入院になって私も家族も良かったんじゃないかと思う。入院生活は暇でしょうがなかったけど、何故入院になったのか何がダメだったのかを考えるきっかけになった。規則正しい生活とは何かを久々に体験できた。学校の卒業が危ぶまれたけど卒業出来た。両親の理解も深まったし、総じて入院してマイナスなことがなかった。そして、一度経験することによりハードルが低くなるのか、辛くなったら入院すればいいんじゃないかと逃げ道ができたように思うので、良かったのかな。(まあ暇すぎてあまり入院したくはないけど)

正直、薬を飲んでいても希死念慮は消えないからまた同じことをする可能性はあるけど、どう向き合って行くのかこれからまた学ぶ事で探していきたいなと思ってる。

 

入院生活についてはまたいつか書きたいと思う。