日記

勉強していないと馬鹿過ぎて死にたくなるのに馬鹿だから難しい事がわからない助けてくれないか

辞めたい

一年は働く事を目標としていた。

 

一年ともう4ヶ月も終えようとしているところでモチベーションはダダ下がり。その理由の1つとして、職員の中に苦手な人が一人いること。前から嫌だなあと思っていたけれど、一年は頑張ると思っていたし、一年目の新米が文句を言っちゃいけないと思っていたから我慢できた。でも2年目、我慢ができなくなった。一年は頑張るといった目標を達成した今、我慢する理由がわからなくなって。

 

退職を申し出た。その職員が苦手だという理由が同期から漏れてしまい、とりあえず異動になった。

 

理由の2つ目は、医療行為がほぼなく技術が身につかない事に不安を感じ始めたから。新卒即介護施設で働いているのだが、当初は生活基盤の立て直しを目的とした就職だったのでそれでよかった。しかしある程度生活が安定し精神面も上々な今、新たな欲が出てきた。(いや、新しい場所で働くことに不安もあるけど...)

 

だから、異動となっても現場が変わっただけで同じ仕事をするのなら意味ないなと。ひとまず異動になったけど異動先でまたすぐに退職を申し出る予定。そんなことするより、もうめんどくさいから行きたくないな。

 

因みに、職場の嫌いな人の嫌いなところは「声がうるさい」ところです。仕事中に仕事もしないで大きな甲高い声で騒がれると音がうるさくてメンタルがやられる。もはやメンタルがやられてるから音が無理なのかとすら思えて来るな。

職場に好きな人は必要だ

気付いたら、昨年、精神科病院に入退院してから一年経過していた。

 

あれから、一度実習を挫折しながらもなんとか終え無事卒業ができ、資格取得し、就職をした。

 

就業するに当たって目標としたことは「一年働く」事。ストレスがたまらないように難しい事はやらない。不規則な仕事はしない。だから夜勤のない職場にした。

 

入社して、とても良い職場に就職できたなと思う。小規模有料老人ホームなのだが最初にプリセプターで付いてくれた常勤の先輩がとにかく、とにかく、優しくて親切で面白くて、丁寧で、だけど手の抜き方も教えてくれて、大好きなんだ。他の職員の方とも仲悪くなく雰囲気が良い職場だ。だけど、とにかくこの先輩が大好きだから、この先輩がいるから頑張れる。先輩が辞めたら私もやめる。絶対にだ。辞めるのに尤もな理由なんていらないでしょ、という強い気持ちで辞めるのだ。それくらい先輩の事を尊敬しているし大好きということなのだ。

 

看護師4人いる中で私と先輩は常勤なため給与について、いつも話している。お金の話ばかりしている。転職の話ばかりしている。その時間が大好きだ。最近面白かったのが「友達が某飲食業界に転職したら長く働いている自分より明らかに給料をもらっている、転職しよう」と他職種も視野に入れたことだ。うける。大好き。

 

とにかく大好き。

 

先輩のお陰で頑張れるの。先輩がいつまでも幸せでいられますように。

 

あと2ヶ月で一年経過するので、がんばるぞ。

精神科病院へ措置入院になった話し

その日、私は何に追い詰められていたんだろう。

思い返せば昔から不安定で、特にここ2年はひどいものだった。度々睡眠薬や精神薬のODを繰り返しては無断で学校を休んで先生に迷惑をかけていた。ODと言っても無意味な薬を大量に飲むのではなく、混迷する程度の量をアルコールと共に摂取して、死ぬ時に痛い思いや苦しい思いをしないようにと麻酔的な意味で行っていた。先日有名になった、自殺志願者を殺し、9体の遺体と6畳一間に一緒に住んで(?)いた事件の犯人が教えていた自殺の方法と全く一緒の使い方をしていた。

1回目、とりあえず薬飲んどけば死ねる→失敗(それはそう)
2回目、薬飲んで部屋でドアノブ自殺→気づいたらベッドで寝てた。
3回目、薬飲んで動脈の位置カット→各刃物切れ味悪すぎて切れず失敗。ノコギリのように使用したため傷口だけは汚く残る。
4回目、薬飲んで近所の公園で首吊り→ロープではなくコンセントを使用したため破損して失敗。大幅にコケて顔面を怪我する。

5回目、精神薬とカフェインのODでカフェイン中毒または嘔吐による窒息死→ありえん大量の吐物を床にぶちまけただけ。

もう、薬飲んで崖っぷちで眠るか飛び降りか身投げか焼身か色々考えはあったけど、遺体が残らない事と、失敗した後にダメージが大きいことは怖くて選択肢から外していた。私は臆病だし弱虫だし痛い事怖い事いやだし、ラクになりたいだけで生きたいんだから、そんなある意味確実なこと出来るわけなかった。

でも、もう何度目かの失敗で私も疲れていた。家族も学校の先生も疲れていたと思う。薬ももう最後の一回しか残っていなかった。だから次こそはと思い、今度はちゃんとロープを購入し首吊り用の輪っかを作って、公園のどこの木に引っ掛けるかまで下見に行くなど準備をしていた。

その日、病棟実習の3日目かなんかだったと思う。

2年生の6月頃から本格的に実習が始まった。その日が来る前から実習には度々行けなくなり落とすクールも出てきていた。私が休むものだから先生も気を遣って、本来なら患者を一人で受持つところを私と仲の良い友達と二人で一人を受け持たせてくれた。それなのに、そのクールに私はやらかしてしまった。

いや、実習始まる前はグループの友達にも「今回は大丈夫だよ〜w」と言っていたしそのつもりだったんだよ。

でも朝になると行けなかったの。もう死ぬしかないと思った。「行けないなら死ぬしかなくない?卒業する為に生きているのに卒業できないなら死ぬしかなくない?何もできないなら死ぬしかなくない?死なないとこんな状態を認められなくない?もう死んで認めてくれないか?」と視野狭窄に陥り混乱していた。

だから、薬とアルコールを飲み、用意していた物品を持って外に出た。もうそこから記憶にないのでここからは夫の話しとなる。

結論から言うと、私は首にロープを引っ掛けて近所をウロウロしていたらしい。コンビニ店員の通報なのかコンビニ前に警察がきて職務質問を受けていたらしい。

丁度夜勤明けで帰ってきていた夫が私を探して発見し家に連れて帰る。そこから寝かせて休ませる。何回も繰り返しているから夫は病院には連れて行かないほど慣れっこに。目覚めるたびに私は「何で死んでないんだよ!ロープ返せよ!またロープの輪っか作らないといけないじゃないか!!薬をくれ!」とキレていたらしい。(覚えていないけどまたロープの結び方をネットで検索して文句言いながら作成していたらしい。うける)。家に来ていた親が、私が荒れている様子を見てそろそろ怖いと思い精神科の救急に連絡をする。救急隊はこの状態では元気なので救急車には乗せられないとのことで警察に通報。警察署に連れて行かれる。そこで待機して役所の福祉系の人が来る。みんなで精神科病院に行く。精神科指定医2名と面談し措置入院となる。

という経緯を経て精神科に初の入院。

もう散々やらかして疲れていたから、入院になって私も家族も良かったんじゃないかと思う。入院生活は暇でしょうがなかったけど、何故入院になったのか何がダメだったのかを考えるきっかけになった。規則正しい生活とは何かを久々に体験できた。学校の卒業が危ぶまれたけど卒業出来た。両親の理解も深まったし、総じて入院してマイナスなことがなかった。そして、一度経験することによりハードルが低くなるのか、辛くなったら入院すればいいんじゃないかと逃げ道ができたように思うので、良かったのかな。(まあ暇すぎてあまり入院したくはないけど)

正直、薬を飲んでいても希死念慮は消えないからまた同じことをする可能性はあるけど、どう向き合って行くのかこれからまた学ぶ事で探していきたいなと思ってる。

 

入院生活についてはまたいつか書きたいと思う。

 

准看護学校に通って

この春、私は准看護学校を卒業した。

入学当時、これから始まる未知な領域の講義を受けること、久々の学生生活であることに期待と不安で胸を膨らませた。特に、高齢での入学だったため友人ができるか、上手にやっていけるかなど人間関係の不安が主であった。

 

そんな期待や不安は色んな意味で裏切られた。

勉強に関しては、特に知的好奇心をくすぐられるような事はなかったように思う。卒業した今となっては、何故看護師になりたかったのか忘れてしまうほどにモチベーションはだだ下がりしている。そのため資格試験が終わった今、どんどん知識が抜け落ちている。昨日、看護学位取る!と書いたものの、看護学の履修を見ると即「やりたくね〜w」っという言葉がでる。それはまあ、追い追い....

 

友人関係においては、クラス全体が仲が良くみんなで助け合い素敵なクラスだった。馴れ合いと言われればそうだけど、飲み会をしたり、先生や功労者にサプライズをしたり、クラスLINEも的確に使用され、結束力があった。特に私は実習グループでの仲が良く、グループ内の人の家で飲み会、飲み会、飲み会。映画鑑賞会、お疲れ様会と言って飲み会飲み会飲み会。(宅飲みは1人当たりの負担金額がめっちゃ少ない上にこれぞ学生!という感じでめちゃくちゃ楽しかった)

 

他にも、特に仲の良い友人もできた。殆ど毎日一緒に帰ったり、LINEのグループで頻繁にやりとりしたり、休日にランチを食べたり、深い悩み相談をしたり、自宅にお泊りをしたり、旅行をしたりというような関係になれた友達が2人もできた。年齢が上がるにつれて友達とは疎遠になっていったので、こういった友達ができた学生生活は本当に良い刺激となり思いのほか幸福感をもたらした。

 

准看護学校に通って得たものは、友人と、友人や仲間がいる素晴らしさを改めて知ることが出来たことだと思う。やはり人間は1人では生きていけない。友人がいたから頑張れたし友人がいたから生活に張り合いがでた。平坦な毎日に「人生とは...」と鬱々と考えてしまう私にとっては、刺激が必要であることを知ることができた。

 

しかし、この度卒業し、進路が別々となる。4月からどうなってしまうのかを考えると、寂しさで鬱々としてしまう。しかしそれが友達なんだ。ずっとコンスタントに一緒にいられるわけではないんだ。コンスタントに一緒にいたら、それは家族というのだ。また新しい環境で新しい人間関係を作るものなんだ。期待と不安を胸に4月からも頑張ろう。

目標があるから頑張れる

「目標があるから頑張れる

目標にありがとう 目標にありがとう」

 

これは、家のカレンダーに書かれていた詩だった。

 

この言葉に出会ったのはもう10年も前になるけど、それからずっと、何かを新しく始めてやる気が溢れている時とか、壁にぶち当たって辛い時とかまずこの言葉が思い浮かぶ。目標にありがとう目標にありがとう...目標があるからがんばれるよ、目標があるから生きていけるよ...と突き詰めていくとセンチメンタルな気持ちになるくらいこの言葉に依存している。救われている。

 

この春、私は准看護学校を卒業して資格試験にも合格した。4月からは正看護師への学校には進学せず就職をすることにした。来月から働くことがとても楽しみである。しかし、就職先の業務内容が緩そうなことから、私はまた何か新しい事始めたいなあなんて思い始めた。

 

准看学校を一緒に卒業した友達が「放送大学で単位を修得して、通信で正看護師の資格とる」と言っていた事を思い出して、私は放送大学のことを調べ始めた。色々とシラバスを見ていると楽しそうな科目があり、興味が湧いた。私は高校中退(高認)のため、放送大学で学位をとるのも良いかなと思った。

 

看護の通信制を利用して准看護師から正看護師になる方法がある(2018年4月現在、准看護師として7年の就業経験が必要)。その看護通信制には放送大学の単位が認められる。入学する前にある程度の単位を取得して良いのだと。そうすることで、通信制に入学したときにグッとラクになる。そして、更に単位取得を進めて行けば学位付与機構を通して「看護学」の学士を貰うこともできる。調べて、そうなるまでには色々と大変な道のりだなとは思ったけど、同時に夢のある話だなと思った。

 

なので、次の秋には入学できる準備をしたいと思う。春入学が終わり出遅れた、と思ったけど4月から新しい職場ではあるので先走らないで半年間様子がみれると思うとちょうど良いなと思った。何事もポジティブに。

 

放送大学卒業・正看護師資格取得・学位授与機構より看護学士授与なんて、何年も時間がかかると思うし、私の学力からしたら趣味娯楽の域だと思う。でもだからこそ、これだけやる事があればまだまだ生きれるね(笑)なんて思った

 

目標があるから頑張れる〜